会社の歩み | クルマ・技術の歩み |
---|---|
1979年11月・フォード社と資本提携 | |
1979年6月・自動車生産累計1,000万台達成 | |
1979年2月・対米輸出累計100万台達成 | |
1979年1月・社章変更 | |
1978年11月・ロータリーエンジン車生産累計100万台達成 | |
1978年10月
・3代目「カペラ」発売 | |
1978年3月・初代「サバンナRX-7」発売
「クルマを運転する楽しみの追求」を基本テーマに開発され、12A型2ローターロータリーエンジン(130馬力)をフロントミッドに搭載し、優れた操縦安定性を実現。ヘッドライトは空気抵抗を減らすため、当時国産車唯一の格納式を採用。外板色は5色を用意。インパネはT型ダッシュパネルを採用し、視認性のよい大型3連メーターを配した。バケットシートを採用した。定員4名、全長×全幅×全高(mm):4285×1675×1260、最小回転半径4.8m、0-400m加速15.8秒(5MT車)、最高速度180km/h。販売価格はカスタム123万円、スーパーカスタム137万円、GT144万円、リミテッド169万円(AT車は4万円高)。 | |
1977年12月・松田耕平会長、山崎芳樹社長就任 | |
1977年10月・最高級小型乗用車「ルーチェレガート」発売
| |
1977年5月・2代目「タイタン」発売
| |
1977年1月・4代目「ファミリア」発売
| |
1975年10月・高級スペシャリティカー「コスモ」発売
| |
1975年4月・ロータリー普通乗用車「ロードペーサー」発売 654cc×2ロータリーエンジンとREAPS-3を搭載。昭和50年排気ガス規制に適合する普通乗用車として初の低公害車。ベンチタイプシートの6人乗り/セパレートタイプ5人乗り。10月にはREAPS-5を搭載し、昭和51年排気ガス規制に適合。
| |
1975年1月・タイで現地組立を開始 | |
1974年5月・三次ディーゼルエンジン工場完成 | |
1974年2月・2代目「カペラ」発売
| |
1974年1月・フィリピンで現地組立を開始 | |
1973年10月・輸出累計100万台達成 | |
1973年9月・3代目「ファミリア」発売
| |
1973年3月・西ドイツに販売会社を設立 | |
1972年12月・自動車生産累計500万台達成 | |
1972年11月・2代目「ルーチェ」発売
AP車(公害対策車)第1号。REAPS(RE Anti PollutionSystem)を搭載して、当時、世界で最もクリーンな排出ガスレベルを量産車で達成。12A(573cc×2)ロータリーエンジン搭載。ハードトップ(2ドア)、カスタム、セダンのラインナップ。 | |
1972年10月・マツダトレーニングセンター鯛尾完成 | |
1972年7月・軽乗用車「シャンテ」発売
| |
1972年4月・「パークウェイ」発売
| |
1971年12月・フォードへ「クーリエ」(プロシード)供給開始 | |
1971年9月・「サバンナ」発売
・「グランドファミリア」発売
| |
1971年8月・初代「タイタン」発売
| |
1971年2月・マツダモーターオブアメリカ(MMA)設立・インドネシアで現地組立を開始 | |
1970年11月・松田耕平社長就任 | |
1970年5月・初代「カペラ」発売
ファミリアとルーチェの間を埋めるスポーティサルーンとして開発。2ドアクーペと4ドアセダンが発売された。エンジンは、12A型2ローターロータリー(120馬力)と1600ccレシプロ(100馬力)が設定され、「風のカペラ」として親しまれた。カペラ・ロータリークーペは最高速190km/h。同年10月に、1500cc(92馬力)が追加された。71年1月にはロータリー初のAT(REマチック)も登場。72年2月に、クーペGSを送り込む。車高を40mm下げスポーティ度を高めたこのモデルは、サーキットでもスカイラインGT-Rと熾烈なバトルを繰り広げた。 | |
1970年6月・ロータリーエンジン車の対米輸出開始 | |
1970年4月・対米輸出開始 | |
1970年3月・「ファミリア」シリーズ生産累計100万台達成 | |
1970年1月・米国販売拠点「マツダモータースオブアメリカ」をワシントン州に設立 |
沿革(1920年~1979年)
1970年~
1960年~
会社の歩み | クルマ・技術の歩み |
---|---|
1969年10月
| 1969年10月
|
1969年4月・ロータリーエンジン車本格輸出開始 | 1969年4月
|
1968年11月
| |
1968年9月
| |
1968年7月
| 1968年7月
|
1967年11月
| |
1967年5月
| |
1967年4月
・オーストラリアに販売会社を設立 | |
1967年3月
| |
1967年1月
・2トン積み「E2500ディーゼルトラック」発売ディーゼルエンジンをパーキンス社と共同開発。 | |
1966年11月
| |
1966年8月
| |
1966年5月
| |
1965年11月
| |
1965年10月
| |
1965年6月 トラック「クラフト」発売
1484cc直列4気筒ガソリンエンジン。1トン積み/1.5トン積み。乗車定員:3名。 | |
1965年5月
| 1965年5月
|
1965年1月
・英国パーキンスサービス社とディーゼルエンジンに関し技術提携 | |
1964年12月
| |
1964年10月
| |
1964年4月
| |
1964年1月
| |
1963年10月
| |
1963年6月
| |
1963年3月
| |
1962年11月
・小型乗用車「キャロル600」発売 | |
1962年9月
| |
1962年4月
| |
1962年2月
| |
1962年1月
| |
1961年8月
| |
1961年7月
・独NSU社、バンケル社とロータリーエンジンに関し技術提携 | |
1961年5月
・「B360ライトバン」発売 | |
1961年2月
| |
1960年5月
|
1950~
会社の歩み | クルマ・技術の歩み |
---|---|
1959年10月
| |
1959年7月
| |
1959年6月
| |
1959年5月
| |
1959年3月
| |
1958年4月
| |
1957年11月
| |
1957年8月
| |
1957年1月
| |
1956年8月
| |
1954年10月
| |
1954年4月
| 1954年4月
|
1954年2月
| |
1953年12月
| |
1952年10月
| |
1952年9月
| |
1951年12月
| |
1951年9月
| |
1951年3月
| |
1950年9月
| |
1950年6月
| |
1950年4月
| |
1950年3月
|
1940年~
会社の歩み | クルマ・技術の歩み |
---|---|
1949年8月・3輪トラック輸出再開(インドへGB車を輸出。4人乗り3輪乗用車をサンプル輸出) | |
1949年4月・「GB型」3輪トラック発売
701ccエンジンとトランスミッションを一体でアルミ鋳造。 | |
1945年12月・「GA型」3輪トラックの生産を再開 | |
1945年8月・(広島に原子爆弾投下) ・(第二次世界大戦終戦) ・建物の一部を広島県に貸与、県庁の全機構が当社に移される (~'46年7月) | |
1940年・小型乗用車を試作
|
1930年~
会社の歩み | クルマ・技術の歩み |
---|---|
1939年2月・97式側車付自動2輪車生産開始 | |
1938年5月・3輪トラック「GA型」(グリーンパネル)を発売
669ccエンジン、4段ミッション採用。 | |
1938年1月・「軍需工業動員法」により陸海軍共同管理工場となる | |
1936年4月・3輪トラックで鹿児島―東京間をキャラバン宣伝
マツダ号KC36型4台とマツダ号DC型1台で、鹿児島から東京までの約2,700kmを、25日間かけて走破した。このキャラバン宣伝は当時の3輪トラック業界初の試みで、その後の3輪トラックキャラバン・ブームのきっかけとなった。 | |
1935年12月・3輪トラック「KC36型」を発売
圧延鋼板製単一フレーム採用。500kg積み。 | |
1935年10月・さく岩機の生産開始 | |
1935年6月・3輪トラック「TCS型」を発売
2重フレーム採用。低床式。 | |
1934年10月・3輪トラック「KA型」(654ccエンジン搭載)を発売 | |
1934年1月・3輪トラック「DC型」(485ccエンジン搭載)を生産開始
| |
1932年・大連、奉天、青島へ3輪トラック初輸出 | 1932年11月・3輪トラック「DB型」を生産開始
482ccエンジン搭載。2重フレーム採用。 |
1931年10月・マツダ初の3輪トラック、マツダ号「DA型」の生産開始(200kg積み)
| |
1930年10月・自社製単車で広島市の招魂祭のオートレースに優勝 | |
1930年9月・広島県安芸郡府中町に新工場建設
当時の府中町は塩田であった。ここを整地し、工場を建設し、本社を移設した。 | |
1930年3月・単車6台を試作。その後30台を製作し市販した。
|
1920年~
会社の歩み | クルマ・技術の歩み |
---|---|
| 1929年11月・2サイクル250ccエンジンを試作 |
1929年4月・工作機械の製作開始 | |
1927年9月・東洋工業株式会社に改称 | |
1921年3月・松田重次郎社長就任
| |
1920年1月・1月30日、東洋コルク工業株式会社として創立 (広島市中島新町)
・海塚新八社長就任 |