MAZDA ICONIC SPを生んだマツダデザインの挑戦 ―その情熱が、まだ見ぬ未来を切り拓く―

MAZDA ICONIC SP スケッチ
MAZDA ICONIC SP スケッチ

2023年10月25日。「ジャパンモビリティショー2023」で、ひときわ輝きを放つクルマがありました。

「MAZDA ICONIC SP」

 

マツダの“ICON(象徴)”の名を与えられたそのコンセプトカーは、多くの人々の心をつかみ、そして、鮮やかな赤に魅せられた人々は言いました。

「このクルマに、乗りたい」

 

「いつ、乗れるんですか」

 

発表から1年以上が経った今でも人々を魅了してやまない夢のクルマ。

そのクルマに人々が心動かされるその様子を、会場でひっそりと涙を流しながら見つめるマツダの社員がいました。


MAZDA ICONIC SPの開発者達
MAZDA ICONIC SPの開発者達

デザイナー、モデラーである彼らこそ、MAZDA ICONIC SPの“生みの親”たち。

 

彼らが描いた“夢”の形とは。

 

この日、MAZDA ICONIC SPを作り出したデザインメンバーが集まり、想いを語りました。


MAZDA ICONIC SPの対談
MAZDA ICONIC SPの対談

左からデジタルモデル担当の伊藤、エクステリア担当の高橋、CMF(カラー、マテリアル、フィニッシュ)担当の山下、インテリア担当の濱永、岩川。

「スポーツカーってなんだろう?」その答えは、とてもピュアなところにあった。

高橋:

最初は、(スケッチを)自分の手で描くところを、私はスタートにしています。今回は「スポーツカー」というお題があったので、そもそも「スポーツカーとはどうあるべきだろう」ということを考え始めました。

エクステリアデザイン担当高橋耕介
エクステリアデザイン担当高橋耕介

エクステリアを担当した高橋耕介(たかはし・こうすけ)。過去には中山雅(なかやま・まさし)本部長とともに、ロードスターのデザインにも関わった。

高橋:

本部長である中山さんと長い間色々と話し合ったんですが、やっぱりスポーツカーって「乗ってワクワクする」、これに尽きるんじゃないかという結論に至ったんですよね。

難しいことを考えるのはやめよう。「乗ってワクワクする」という気持ちに、ただ“ピュア”であろう。その想いで、スケッチを行いました。

高橋が描いたスケッチ。乗ってワクワクすることや、クルマの中心に“人”がくるという構想は、この時から定まっていた。

高橋:

僕は自分のデザインについて「その通りにやれ!」って言うタイプではないんです。クレイモデラーさんやデジタルモデラーさんがいろんな解釈ができるようなものを描く。みんなそれぞれが感じたことを答え合わせしていく感じなんです。

 

だけど今回みんなの反応は結構不評で、その時は苦しかったな。色々直すうちに「良い」が分からなくなって、最初のピュアな気持ちも見失ってしまって……。そのときに、助けてくれたのが伊藤さんだったんです。

デジタルモデル担当伊藤政則
デジタルモデル担当伊藤政則

デジタルモデルを担当した伊藤政則(いとう・まさのり)(左)。高橋の“相棒”として何度も対話を重ね、クルマを形作った。

伊藤:

デザイナーも、それを立体にするクレイモデラーも、みんな“見せたい部分”がある。そこで、デジタルモデル担当の私が全体のデザインバランスをとる必要がありました。

とても悩んでいる様子だったので、高橋とも何度も侃々諤々話し合いました。

高橋:

伊藤さんに相談したことで僕は戻って来られたんですよ。最初のピュアな気持ちに。これがこのクルマの“キャラ”なんだってちゃんと言えるようになったんです。

 

そして、1/1スケールのモデル(実物大のデザインモデル)を作った。そのときに、素直に「かっこいいじゃん」って自分も思えたし、社内の人もそう言ってくれたんです。

1/1スケールのモデル検討。3Dでもミニチュアモデルでも伝わらなかった魅力が、実物大になった途端ストンとメンバーの腹に落ちた。「乗車する自分の姿」をイメージできて初めて魅力が伝わるクルマだったのだ。

濱永:

格好いいクルマって、「うっ」とくる感じがあるんですけど、このクルマ(MAZDA ICONIC SP)は、割とスッと入ってくるというか、ずっと眺めたくなる居心地の良い格好よさを持っていました。

インテリア担当濱永大企
インテリア担当濱永大企

インテリアを担当した濱永大企(はまなが・だいき)。インテリアとエクステリアがつながる“マツダらしい”デザインを多く手がける。

濱永:

1/1スケールを見たときに、ここにドライバーが座るんだ、インテリア(内装)がはまるんだというのが伝わってきて、そうしたら、やっぱりインテリアを描きたくなるというか、アイデアが出そうな感じがしてきました。

インテリアを暗雲から救ってくれたのは、マツダの“原点”だった

濱永:

今回は0から考えてみようと、シャーシ(クルマの土台部分)とステアリングだけの状態から考え始めました。スポーティな感じを目指していたんですが、中山本部長にスケッチを何度見せても、「今まで通りだな」とか「暑苦しいな」と言われる期間が、かなり長かったですね。

山下:

あの時すごい暗かったですよね。毎日お通夜みたいな感じで。

濱永:

中山本部長から「もっと好きにやればいいじゃん」って何度も言われて。それも多分親心だと思うんですよ。でもあの時は思い悩んでましたね。

MAZDA ICONIC SP当時の振り返り
MAZDA ICONIC SP当時の振り返り

当時を振り返る山下(左)と濱永(右)。濱永の父もかつてマツダのインテリアデザイナーであり、本部長である中山の元上司でもあった。だからこそ中山から濱永への要求は厳しく、デザイナー陣は「インテリアはもっとも苦しいセクションだった」と口をそろえる。

濱永:

どうにもならないときに、中山さんがヒントとしてエクステリアの画像をくれたんです。

エクステリアを見ていると、だんだん人を乗せたくなるんですよね。その人のシートの位置はどこだろう、ステアリングはどこだろう、その人の視線は何を見るんだろう。そこが考えの起点になりました。

あとは、私は通勤でロードスターに乗っているんですが、それもヒントになりました。

MAZDA ICONIC SP

人が中心に据えられたことで定まったインテリアのデザイン。ドライバーから見えるステアリング越しの景色まで考えられたまさに「ひと中心」のインテリアだ。

濱永:

マツダならではだと思うんですが、「内と外をつなげたい」って思いがあるんですよ。ロードスターもそうです。ドライバーがクルマと一体になるから、走る楽しさとか、意のままに操れる歓びが生まれる。

 

最初のスケッチで、中山さんに「これはマツダじゃなくていいよね」って言われていた意味も今ならわかります。マツダでしか出せないものを創るなら「人をどう座らせるか」、つまり“人”を起点にして考える必要があったんです。
だけど、まだ1個決まらない部品があった。それが、シフトスイッチだったんです。それを岩川さんに思いっきり頑張ってもらいました。

濱永と共にインテリアを担当した岩川海土(いわかわ・かいと)。量産デザインを経て今回初めてコンセプトカーを担当した。(主にコンソール・シート・コックピット周辺)

岩川:

開発初期にデザインしていたシフトスイッチは、「普通だね」とか「歩数計」とか言われて。

山下:

言われてたね(笑)

岩川:

いやほんとに、最終的には18案くらい出しても決まらずで、ここまできたら「思いっきり飛んだデザインをしよう」と思って。
このクルマが弦楽器のヴィオラのように見えるとチームで話していて、そこから弦のようなモチーフを元にデザインをしました。

車体をヴィオラに見立てて、センターに来るシフトは、弦をモチーフとしたユニークなデザインに仕上がった。

岩川:

皆さんが考え方やコンセプトを描いてくれていたので、操作系はグッと目に入ってくる際立つ存在でないといけないと考えて、特徴的で他にないものに仕上がったと思います。

高橋:

僕のエクステリアも、濱永くんのインテリアも、結構真面目にやってるから、こういうキャッチーなシフトスイッチのデザインが良かったよね。

当時のことを振り返る時、全員から自然と笑いが出てくる。美しいクルマを作り上げたのは、どこまでも人間くさい雰囲気のチームだった。

濱永:

個人的に思うマツダらしいインテリアって、「乗ってみたくなる」「ワクワクする」ことが第一印象で、実際に乗ってみると「ああ、クルマってこんなに楽しいんだ」って感じてもらえることだと思っています。「MAZDA ICONIC SP」を通して、そう思ってもらえたなら、インテリア冥利に尽きると思っています。


刻まれた、広島への想い「美しい世界を、平和の街から」

山下:

濱永さんのデザインを受けて、インテリアの素材を考え始めました。

左:CMF(カラー、マテリアル、フィニッシュ)として、トータルコーディネーションを担当した山下美奈(やました・みな)。車体のカラーから、インテリアの素材決定など、イメージを形にするために多岐にわたる知識と技能を持つ。

山下:

もともと次世代の素材感というものを研究していて、私が作った麻の織物があるんですけど、それで麻のコンポジット素材を作ろうとしました。

麻のコンポジット。


麻を樹脂で固めることで、自然由来の強度があるナチュラルカーボンに仕上がった。

副島:

麻っていうのがすごい吸水性のある繊維で、樹脂を吸い込ませると、素材の風合いがわからなくなってしまうんですよね。極力麻が樹脂を吸い込まないようにすることに苦労しました。

左から麻コンポジットを担当した副島邦昭(そえじま・くにあき)と田代豪(たしろ・つよし)。

田代:

出来上がったコンポジットを、どう綺麗に貼るかっていうところに苦慮しました。試作の時に剥離してしまって、ショーでは絶対に剥離しないように、接着剤の選定に注力し、何回もテストを重ねました。


シートバックを張り込み
シートバックを張り込み

シートバック貼りこみ。


コンポジットバスタブ(実物大のインテリアモデル)制作。MAZDA ICONIC SPは、マツダのハードモデラーチーム総動員で作られた。マツダの技術者のこだわりの一つひとつが詰め込まれている。

副島:

私たちの仕事って、普段は世の中に出ていかないんですよ。だから、今回「MAZDA ICONIC SP」で私たちが手がけた仕事が世の中に出て、多くの人に見てもらえて、やりがいがありましたね。

田代:

感慨深いですよね。本当にギリギリまで貼り作業をしていたので、ヒリヒリしましたけど、苦労を越えてできたこのモデルには強い思い入れを感じます。

山下:

ステッチで佐藤さんにも助けられたんです。デザインについてもシートアクセントのグラフィックのアイデアを出してくれたり。

佐藤:

ステッチについては、刺繍みたいな感じを出したいってことだったんで、色々と候補を出していって、人の手縫いでしか出せない立体感をつくりました。グラフィックのアイデアは、勝手につくりました(笑)。山下さんも忙しそうだったんで、とっかかりになればなと。

中央:縫製を担当した佐藤公宣(さとう・まさのり)。

佐藤が制作したステッチ。


手縫いの風合いは、「MAZDA ICONIC SP」に人間的な温かみを生んだ。

山下:

皆さんこだわりを持ってやっていただいたな、というのはインテリアの出来上がりを見て改めて思います。

佐藤:

なんか山下さんのキャラもあって、いろんなことを頑張りたくなっちゃう感じがあるんですよね(笑)。

山下:

「MAZDA ICONIC SP」を作る前から、業務だけど業務じゃないみたいな、趣味で試したいことをずっと協力してもらっていて、本当に、ありがとうございます。

デザインする者と、それを形にする者というだけではない。お互いに意図を汲み、自らの考えを伝え、共に形にする。“共創”という言葉がこれ以上なく似合うチームだ。

山下:

シートの素材は、ライトウエイトスポーツを意識してはじめもっとモダンでスッキリとした3Dニット(1本の糸でシートの形状に合わせて編み上げたもの)で制作して、すごくオシャレに仕上がっていたんです。でもそこで、中山本部長が「広島だからやはりデニム生地でいきたい」って言い出して。

それ聞いて私はもう怒っちゃって「やっとの思いで今こんなにイケてる感じにできたのに」って憤慨してました。

濱永:

当時はなだめるのが大変でした(笑)。

高橋:

濱永くんあのとき僕に助けを求めてきてたよね。で、見たら遠くで山下さんが怒ってる(笑)。

思わず中山本部長への愚痴も飛び出す。しかし、中山も撮影当日はスタジオにいたため、愚痴ではなくもはや“直接抗議”であった。

山下:

正直に言うと、カラーデザイナー的には“地産地消”とか“広島だからデニム”とか、そういうのは安直でダサいって感じていて嫌だったんです。

でも、「決まってしまったものはしょうがない、やるならただのデニムではないもので、期待を超えてやろう」って作業に取り掛かりました。

硬いデニムそのものではスポーツカーにふさわしくないと判断し、デニム糸で3Dニットにトライ。


広島の素材を使用し、他分野のメーカーに飛び込みでコンタクトをとり、試行錯誤を行った。

山下:

広島のデニムメーカーから何種類もデニムの糸をもらって、三重にある有名な編み機メーカーに持ち込んで編んでもらって、何度も試行錯誤しました。

その他にもさまざまなサプライヤさんの力も借りて、うまくいかない期間を乗り越えて、モダンでちょうどいい柔らかさの、すごくいい感じのシートになったんです。

ここまできたらとことん“広島”でやってやろうと思って、パーツの素材に廃棄牡蠣殻を使うことを提案したんです。(参考記事:AIにできないデザインって?広島の廃牡蠣殻を採り入れたMAZDA ICONIC SP〜高校生が問うクルマの未来〜

いろんな方々に協力してもらう中で、「広島って宝の山だな」って気づいたんです。良い企業もあるし、良い素材もある。

廃棄牡蠣殻で作られたパーツ(白い部分)。広島の地元企業との共創で生まれた。持続可能な未来を目指すMAZDA ICONIC SPの特徴として、話題を呼ぶキーワードとなった。

山下:

今まではどれだけ希少か、どれだけ新しいか、どれだけスペックがいいかってことばかり考えて素材を探していたんですけど、「広島」という目線でみると、まだまだ新しい可能性が見えてきました。

地元に眠る宝を探し当てるっていうのは、「MAZDA ICONIC SP」が完成した後も続けていて、実はまだまだあるんですよ。これからも、“宝探し”を続けていきます。

山下が最後に「MAZDA ICONIC SP」に書き入れた文字。We will create a beautiful world from the city of peace. (美しい世界を、平和の街から)という言葉には、地元広島と向き合った、山下の葛藤と発見が刻み込まれている。ただ環境に良いだけではない、もっと大切なメッセージをこのマツダから発信できる、と最終的に気づくことができた。

その“赤”を共に目指した涙

高橋:

色はね、最初の僕のスケッチは赤だったんだよね。だけど、いつの間にか中山さんに白にされてた。白は個人的にはテンション上がらなかったな(笑)。

山下:

白も大変で、青を一滴入れるだけでまったく雰囲気が変わるから、かなり苦労しました。

で、白がいい感じになってきたところで、中山さんがやっぱり赤にしたいって。こんなに頑張ったのに!

当初検討されていた白のデザインモデル。彫刻的な美しさを持つ、赤に負けず劣らず魅力的な一台。

山下:

赤色については、実は前に作ったいい色があって、中山さんも「これがいいね」と。でも、その赤にはすごく大きな問題があったんです。

堤:

赤の鮮やかさを極めるためには、下地が白いことが一番効果的でした。でも色の構成上、品質を安定させることが難しく、色ムラが発生してしまうので、他の下地色をいくつも検討して試しました。これならいけるか、というところまで来て中山さんに見せたところ……。

塗装を担当した堤遥加(つつみ・はるか)。技能五輪のメダリストでもあり、塗装のプロフェッショナルとして、山下とともに「MAZDA ICONIC SP」の代名詞とも言える特徴的な「Viola Red(ヴィオラ・レッド)」を生み出した。

山下:

それを見た中山さんから「これなら出さん」とまで言われてしまって、本当に苦しかったよね。ありとあらゆる方法を試したのに、うまくいかず、打ちひしがれて。

堤:

塗装そのものが難しい色だったんです。配合や自分の吹き方もとにかくいっぱい試したんですけど、どうしても塗装の限界を超えられない。

壁にぶち当たる中で、もうここまできたら道具から見直してみようって思って、塗装道具を探すところから始めました。

その中で、特別なスプレーガンを見つけたんです。はじめて希望が見えた瞬間でした。

堤が見つけた、照射範囲が広く、薄くムラなく塗り重ねることができるスペシャルスプレーガン(アネスト岩田株式会社WSー400)。Viola Redを救う、起死回生の一手となった。

堤:

期待を胸に、すぐに山下さんに「これなら塗れるかもしれません」って連絡したんです。

山下:

夕方だったよね。嬉しかった。

話しているうちに、当時の安堵と喜びが思い出され、2人の目からは涙が溢れた。2人にとって念願の“赤”だったのだ。

堤:

27回上塗りすることで、この色はできるんです。出来上がったとき、本当に一点ものができた、これ以上ないものができたなって思って。

毎回、山下さんにお題を与えられたときはすごく悩むんです。でも、達成したときに山下さんと一緒に喜ぶ瞬間がすごくいいなって、いつも思っているんですよ。「MAZDA ICONIC SP」は一生の思い出です。

山下:

もうダメって思った時に、堤さんが道具から見直してくれて、本当、ありがとうね。

「ヘッドライトが開いた時、我が子が目を開けたような気がした」

高橋:

本当ギリギリに完成したからね。ジャパンモビリティショーの会場に持っていった時は、まだ乾いてなかった。

山下:

押したらちょっとまだぷにっとしてましたよね(笑)。でも、本当にきれいだった。私も現地でウルウルしてました。

高橋:

本当のことを言うと、僕あんまりうまくいくと信じられてなかった。だから、この実物を見た時に、「ああ、こんな良いんだ」って。

高橋:

僕は実物が見られたのが本当にギリギリで、アンベール(ショーで発表する際にクルマを覆い隠す布を取り払うお披露目のイベント)のリハーサルで最初に見たんですよ。

布が取り払わされる瞬間にね、うちの息子が産まれた瞬間を思い出した。子どもが産まれてきて、最初に目を開けたあの瞬間。ヘッドライトの見開きに同じものを感じたんです。それくらいの親心というか、本当に感無量でした。

リハーサル会場で初めて“我が子”と対面した高橋。他でもない生みの親である高橋が、会場の誰よりもその姿に心を打たれていた。

高橋:

僕が子どもの頃のクルマって、もっとワクワクするというか、モーターショーに行きたくなったり、ポルシェのクルマを新聞で見て「わあっ」って盛り上がったりとか、そういう記憶があるんですけど、それに近い体験をしてほしいって思って作ったんです。SNSで同じような体験をシェアしてくれている声を見て、1人ベンチで泣いてました(笑)。

伊藤:

コンセプトカーってある意味、コミュニケーションツールだと思うんですよ。作り手と使い手の利害をとっぱらった、純粋なキャッチボール。

伊藤:

私たちにとっても、純粋な情熱を世の中にぶつけられる数少ない機会だったので、とてもモチベーションになりましたね。

濱永:

このクルマって僕の中で不思議で、ずっと見ていたくなるような、見ていてすごく気持ちが良くなるような、なかなかこういうクルマはないんじゃないかなって思います。

濱永:

このメンバーだから、すごく楽しかったし、苦しかった。その中で自分に成長というか、変化が生まれたように思います。僕の中ではこのメンバーで作ることができたことが本当に良かった。

世の中に対してのメッセージという意味でもそうだけど、「MAZDA ICONIC SP」が出たことでマツダの社内の空気も少し変わったように感じます。そういう役割も、コンセプトカーにはあるんだなと思いましたね。

岩川:

僕はただただものを作るのが楽しくて、自分の考えたものが会社を通して世の中に出せるっていうのは、本当に夢があるし楽しい業務だなって、いつも画を描きながら感じています。

山下:

このクルマを作ったことで、ああ、マツダっていい会社だなって思いました。作っている中で、中山さんの純粋な想いに引っ張られて、私もどこまで素直になれるかなって。それが外にも伝わればいいなって。「憧れられるクルマ」より、「愛されるクルマ」。うん、それこそがうちの“象徴”だって言いたいですね。

山下:

全部終わって振り返ると、やっぱり仲間が好きだなって思います。中山さんも、ここにいる一緒にやったメンバーも、みんな本当に、大好き。私にとって、もう1つの家族だなって、本当に思うんですよ。


作り手たちは、今日も未来を見据えています。

そのビジョンは言葉ではなく、クルマという形をとって、私たちを見たこともない未来へと運んでくれます。

 

MAZDA ICONIC SPを見て、多く人々が言いました。

「このクルマに、乗りたい」

「いつ、乗れるんですか」

 

私たちがこのクルマを見て「早く乗りたい」と思うとき、私たちの心は作り手たちと共に、未来を駆けているのではないでしょうか。

編集後記

 

MAZDA ICONIC SP。

作り手たちの想いを受けて、このクルマをもう一度見てみると、その姿からはまた違った印象を受けます。そのフォルム、その色、その内装。一つひとつに、込められた想いと、何度もチャレンジを繰り返した道のり、そしてチームの絆こそが、人々を魅了するクルマを生んでいたのです。

未来を作るのは“人”に他なりません。

人の想いで形作られる未来は、きっとこれからも私たちをワクワクさせてくれることでしょう。

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