CX-80を鍛えた、マイナス25℃の雪降る試験場 ―町と作る“生きた道”を駆け抜けて―

剣淵町を走るCX-80
剣淵町を走るCX-80

雪景色に延びる、白銀の林道。

その道を走り抜ける、見慣れないラッピングを施されたクルマがあります。

 

実はこのクルマ、2024年10月に発売したMAZDA CX-80です。

発売前の2024年初頭の冬、雪道での雪上性能評価が行われていました。

 

ここは、マツダ剣淵(けんぶち)試験場。マイナス25℃を下回ることも珍しくない極寒の試験場です。

ここで開発に携わる人々は、クルマを「改善」するのではなく、この地がクルマを「鍛えてくれる」といいます。同様に町の人々からも、「この地でクルマが鍛えられることを誇りに思う」という声が聞こえます。

 

そこには、遥かな北の大地で人知れずクルマを鍛える人々の想い、そしてクルマを通じて深いつながりを育んだマツダと町の人々との物語がありました。

世界の「雪質」を持つ町 剣淵町

2024年初頭の冬、CX-80が雪上試験をしていると聞き、MAZDA MIRAI BASE編集部は冬の北海道を訪れました。

旭川空港から1時間ほど北へとクルマを走らせた先に、剣淵町はあります。北海道上川地方に位置するこの一帯は、国内でも有数の“試験場が集まる地域”です。マツダだけではなく、国内の自動車メーカー各社が試験場を構えます。

雪が降る地域は北日本なら広くあるのに、なぜこの地域に、これだけ多くの企業が集まるのか。その秘密は、雪質にあります。車両開発本部自動車試験場 試験場長、久我は語ります。

車両開発本部自動車試験場 試験場長 久我 秀功
車両開発本部自動車試験場 試験場長 久我 秀功

車両開発本部自動車試験場 試験場長 久我 秀功

久我:

マツダのクルマは、世界中に出荷されます。つまり、世界中のあらゆる環境で乗っていただく可能性があるということです。マツダのクルマを運転いただくお客さまの環境がどんなものであっても、安全・安心をサポートしなければなりません。

その上で、剣淵町の雪質は大変適しています。真冬の間は、カナダの路上などで見られるパウダースノーに。そして少し暖かくなると、ヨーロッパや日本の東北地方などで見られるベタ雪に。いわば、ここだけで全世界の雪上環境をある程度再現して検証することができるんです。最低気温がマイナス25℃以下になる環境も、クルマを鍛える上では適した環境です。


広島では再現できない剣淵試験場のリアル ―日々、クルマを鍛えるということ―

世界のさまざまな雪質を想定した環境で試験ができる、剣淵試験場。

走る、曲がる、止まるというクルマの基本性能に不具合がないか、徹底的に走り込み、性能を検証します。

そんな剣淵試験場は、他のマツダの試験場とはまた違った空気があります。肌に伝わるピリリとした緊張感には、ある切実な事情がありました。

剣淵で雪上試験を行うブレーキの開発者に、話を聞きました。

車両開発本部 操安性能開発部 第1車両運動機能開発グループ 丹羽 正浩

丹羽:

普段は広島で試験をしていますが、冬の2カ月間は剣淵に長期出張をして試験をしています。

雪や温度を再現するだけなら、広島にあるラボで雪を飛ばしたりすることはできます。しかし、お客さまが使われるシーンを想定するのであれば、自然環境に勝るものはありません。

実際の使用環境に近い条件で、雪や氷がどのようにブレーキに影響を与えるのか。ブレーキが効かなくなったり壊れたりすることはないか。

これをさまざまな条件下で試験し、性能を向上させていきます。

自然環境ですから気候は日々変化します。吹雪の日もあれば晴れる日もある。その中で私たちも、パウダースノー、溶けかかった雪、圧雪路やアイスバーンなどさまざまな環境で、「これなら安全で安心」と言えることを目指してクルマを鍛えなくてはいけません。毎日天気予報とにらめっこしながら、冬の限られた気象環境の中で訪れるチャンスを最大限活かして、徹底的に試験を行っています。

丹羽:

私がブレーキを担当する中で目指していることは、「気付かれないこと」です。

お客さまが、“普通に”ブレーキペダルを踏んだら、“普通に”ブレーキが効く。

当たり前のことのように聞こえますが、それをどんな環境でも実現するためには、世界中のさまざまな環境で、“普通に”動作することが確認できるまで、徹底的な試験が必要です。運転していて、「雪上だから特別なことが起こる」ということがないように、いかなるときも“普通に”使えるブレーキを目指し、クルマを鍛え続けています。

話を聞く中で、あることに気づきます。ここで開発に携わるマツダ社員の誰に話を聞いても、試験や検査のことを「鍛える」と呼ぶのです。

クルマを「鍛える」とは一体どういうことなのでしょうか。

取締役専務執行役員兼CTO 廣瀬 一郎

廣瀬:

「鍛える」、ですか。確かに言われてみれば、私たちはみんな「改善する」などとは言わずに、「鍛える」と言っていますね。

おそらくですが、それは私たちがクルマを単なる工業製品だとは考えていないからだと思います。

昨日できたことが、今日もできる。これは機械なら当たり前です。

でも私たちの生み出すクルマには、昨日できなかったことが、今日はできるようになる。明日はもっとできるようになる。そうした日々の繰り返しの過程を通して、強靭に成長していってほしい。

そういう願いを込めて、私たちはクルマを「鍛える」と呼ぶのではないかなと思います。

「思った通りに操れること」が大きな安全・安心の源であり、クルマと一体になれる歓びの源でもあります。剣淵試験場で鍛えられる中で得られた知見が、全てのマツダのクルマづくりに生きてくる、私はそう思っています。

クルマを通して「人馬一体」を追求してきたマツダの技術者たち。彼らの「クルマを鍛える」という言葉の奥には、独り立ちしてゆく我が子を育て、鍛えるかのような、クルマづくりへの深い愛情が垣間見えます。

そんなクルマを支えるのは、マツダ社員だけではありません。剣淵町の人々の、長年の協力によるものです。

町の人々の協力で実現した“生きた道”を走る意味

剣淵試験場のコースは、他社の試験場のコースと大きく異なる点が一つあります。それはマツダ車が走るのが、“生きた道”であるということです。

車両開発本部 自動車試験場 エキスパートスタッフ 田中 博志

田中:

テストコースの多くは、試験場内に作られた試験専用のコースです。でも、剣淵試験場は自然の道を使っているんです。

というのも、剣淵試験場のコースは、夏は町の人々が使う「公道」です。マツダは冬の間、その道を「お借りする」という形でテストコースとしています。


剣淵試験場のコースは、夏場は町の人々の利用する公道。冬のひとときは閉鎖され、マツダの試験場に様変わりする。

田中:

普段使われている道ですから、当然実際の環境に近い道です。また、森の中の道ですから、木が倒れて道をふさぐことも、道路が傷つくこともある。そうしたことがあっても、町の方々が日々整備してくださっている。だから、私たちは実際の環境に近い“生きている道”の中での試験ができるんです。



広い平野にコースがあるのではない。森の中をうねって走るのも、“生きた道”ならではだ。

田中:

40年ほど前までは、マツダの冬季試験はいわゆる“根なし草”でした。北海道の各地を転々としながら試験をしていたのですが、当時の剣淵町長がものすごいマツダファンでいらっしゃって、「ぜひいらしてください」とお声がけをいただき、剣淵試験場が作られました。それから38年間、ずっとお世話になっています。

場所を提供していただき、道を整備していただく。このような、いち企業といち自治体という関係を超えた関係を持っているところは、他ではなかなかないんじゃないかと思います。本当にありがたいですね。

剣淵町の力を借りて、鍛えられるマツダのクルマたち。しかし、剣淵町の人々にとってもマツダの存在が活力になっているといいます。

代表取締役社長 兼 CEO 毛籠 勝弘(左)剣淵町長 早坂 純夫様(右)。ご自身もマツダファンで、その影響かご子息はクルマ関係の仕事に就いたとのこと。マツダとのつながりについて、楽しそうに語ってくださった。

早坂町長:

マツダの方とこの町の人びとは距離感も近く、家族ぐるみの付き合いも多いので、大人から子どもまで、マツダの存在は深く浸透していると思います。

何より、マツダが剣淵町でテストしている、これは私たちの自慢です。ぜひ協力していきたい。だって、剣淵で育まれたクルマが、世界中を走っている。これは夢があることじゃないですか。

毎年マツダが剣淵町の人々を試験場に招待して行われるイベント。町民の人々の多くが、大人から子どもまで、年に一度のマツダと触れ合うこのイベントを楽しみにしている。


CX-80は、雪上から世界へと羽ばたく

取材の中で、MAZDA MIRAI BASE編集部も試験中のCX-80に同乗しました。「生きた道」という言葉にふさわしく、雪の林を縫うように延びるテストコースは、坂道、カーブなど、冬の峠をイメージさせるハードなコースです。

しかし、CX-80はその環境をものともせず、安定した走りを見せてくれました。

窓の外は銀世界で、環境が変わっても、意のままに動く。その安心を実感できる走行でした。

 

幾多の試験をクリアし、完成に至ったCX-80。

剣淵町の“生きた道”で鍛えられたこのクルマは、今日も世界の雪道をたくましく駆け抜けています。


編集後記

 

取材当日、手元の温度計を見るとマイナス25℃となっていました。カメラレンズの雪を払いながら、なかなかお目にかかれない数字を信じがたい気持ちで眺めていました。

広島から遠く離れ、気候も全く異なる剣淵町であっても、マツダとの強い絆が感じられるのが不思議なところです。

町の人に話を伺うと、印象に残る言葉が返ってきました。

「マツダ主催のイベントには、30年近く関わってます。マツダが来るから、冬が待ち遠しい」

一方で、試験を行うマツダ社員からも

「2カ月の住み込みだからこそ、町の人の思いやりに触れ、その温かさが身に染みる」

と町への感謝の言葉があふれます。

 

極寒の地で、クルマの安全技術の根幹を支えるマツダの技術者たち。彼らにとって、剣淵の人々との心の通った交流は、安全・安心なクルマづくりを目指す上での大きな力になっていると感じました。

Share
  • X
  • Facebook