その土台にあるのが、人の気持ちや感覚に向き合う「人間研究」と、走りの現場で乗り味を追求してきたエキスパートドライバーの存在です。
クルマは、ただ移動するための道具でしょうか。
それとも、人に寄り添い、運転するたびに信頼関係が深まっていく―そんな“相棒”のような存在でしょうか?マツダが大切にしてきたのは、「人馬一体」という考えです。馬と乗り手が心を通わせ、一体となって走るように、ドライバーの意図にクルマが自然に応え、思いどおりに動く。その感覚を、誰もが自然に味わえるように、磨き続けてきました。
そして今、設計のより早い段階から「人馬一体」を織り込む新たな挑戦も始まっています。
研究・開発・評価はどうつながり、クルマは“最高の相棒”へと近づいていくのか。
その道のりと、現在地を探ります。
人を知ることから始まるクルマづくり
マツダのクルマづくりは、「人を知ること」から始まります。その考え方を、研究の最前線で体現している一人が佐藤です。
佐藤:
「いつか、人間の相棒になってくれるようなクルマを作りたい」。そんな想いをもって、2015年に入社し、人間の知覚や感覚に関する「人間研究」に取り組んでいます。
「人間研究」というと、あまりピンとこない方もいらっしゃると思いますが、人の身体特性に合わせて使いやすさや安全性を高める人間工学、心地よさや楽しさといった感覚を科学的に扱う感性工学、安心感や快適さを脳反応から読み解く感性脳科学など、その領域は多岐にわたります。
その中でも私は、乗員の知覚や感性のモデル化や、乗員の動き(姿勢制御)を中心に研究しています。具体的には、電動車椅子を活用しながら、人の動きや感じ方をデータとして捉え、感覚を可視化することで、「人とクルマをつなぐモデル(※)」の構築を進めています。
この実験ではWHILL株式会社が提供するモビリティプラットフォーム(=電動車椅子)を使用し、快適な乗り心地やウェルビーイングな移動体験につながるデータを集めている。
※モデルとは、実験や検証結果で得られた現象やふるまい、からくりをデジタルデータに落とし込んだ「公式」のこと。モデルを作ることによって、実際の実験を行わなくても、コンピュータ上でその現象やふるまいを再現することが可能になる。マツダが推進する「モデルベース開発(MBD)」はこのモデルを活用した開発手法である。
「人間研究」と聞くと大学などの学術機関が行っているイメージですが、自動車メーカーがそれを行う意味や狙いは何なのでしょうか?
佐藤:
マツダは「人を中心に考える」ことを大切にしています。それは、クルマの性能だけでなく、運転する人がどんなときに安心し、どんなときにストレスを感じるのか、その“からくり”に丁寧に向き合い、クルマづくりに活かしていくためです。
技術研究所 次世代人間中心システム研究部門の佐藤大地。人間を計測した結果をモノに反映させ、人々の暮らしを豊かにしたいという想いでマツダに入社。4歳の娘を溺愛する子煩悩なパパという一面も。
私自身、学生時代から人を計測する研究をしていましたが、当時はその成果を日常の製品にどう落とし込むか、難しさを感じていました。今は、研究とモノづくりが地続きです。自分の研究が、実際のクルマにどう反映されるのかが見える。その点に大きなやりがいを感じています。
たとえば、「内装色を暗くすると外部刺激に対する脳の反応が速くなる」という研究成果は、すでに市販車に取り入れられています。研究で得た知見が、具体的な価値として製品に組み込まれていく過程を見られることは、私のさらなるモチベーションにもなっています。
「人間研究」を進める中で、難しいと感じることはありますか?
佐藤:
たくさんあります(笑)。とくに課題だと感じていたのが、実験結果のばらつきの大きさです。被験者の体調や体格、経験などによってクルマに乗ったときの感じ方は当然違いますし、外部環境のばらつきも加わることで、さらに実験結果が変わってしまうこともあります。
たとえば、雨で視界が悪い環境下で実車テストを行うとします。ドライバーの経験と技術によって、アクセルの踏み具合やハンドルの切り角といった運転条件を完璧に揃えられたとしても、雨の降り方まではこちらでコントロールできませんよね。でも、その違いが実験データに影響してしまうことがあるんです。
マツダでは長年にわたり「人間研究」を続けてきましたが、テストのたびに入力条件を揃え、エキスパートドライバーが運転をする必要があったため、時間もコストも膨大にかかっていました。それでも、乗る人の安心感や「人馬一体」の実感に直結するからこそ、この難しさと向き合ってきました。
「人馬一体」を磨く挑戦―エキスパートドライバーと仮想評価の共創
「人馬一体」の感覚を磨いていくこと。この領域について、開発現場で新たな挑戦が生まれていると伺いました。鈴木さん、ご経歴含め、もう少し詳しく教えて頂けますか?
鈴木:
はい。私は、他の自動車メーカーを経て2019年にマツダに入社しました。これまで、エンジンの燃費や排ガス量をシミュレーションするモデルを活用しながら、パワートレインの設計・開発に携わってきました。現在は、クルマの制御に関するさまざまな要素を仮想化・デジタル化する取り組みや、ドライビングシミュレーターの技術開発を担当していて、エキスパートドライバーと共に、シミュレーターの“育成”をしています。
クルマ開発本部の鈴木 喬。マツダ入社前からクルマの制御の仮想化・デジタル化に従事してきたエキスパート。このほどセカンドカーとしてロードスターを購入するも、なかなか乗る時間が取れないのが、ちょっとした悩みなのだそうです。
“育成”とは、どういう意味なのでしょうか?
鈴木:
実車に限りなく近い動きを再現できるよう、シミュレーターの調整と改良を積み重ねていくことです。
シミュレーターはゲームセンターのレースゲームのようにお金を入れたらすぐに起動して走り出せる、というわけではありません。事前に路面の凹凸や起伏のデータ、視覚データ、車両の運動データのモデルを準備し、そのモデルをシミュレーターに読み込ませて、それらが想定通りに動いて初めてドライバーを乗せることができるんです。
重要なのは“時間の一致”です。シミュレーターを正しく制御するには、現実世界における1秒という時間がシミュレーター内でも1秒として再現されなければなりません。こちらでいくら高精度かつ詳細なモデルを用意したとしても、それを読み込むシミュレーター側の演算処理が追いつかなければ、実験中にどんどん時間のズレが生じてしまいます。そのため、必要な精度を保ちながら、不要な部分は適切に抽象化したモデルをつくることがポイントで、少し専門的になりますが、まさに“育成するエンジニア”の腕の見せどころなんです。
こうして育てたシミュレーターに、エキスパートドライバーが乗り、実車との感覚の違いを一つひとつ確認・検証しながらより実車に近づくよう微調整していく、ドライバーとエンジニアが二人三脚で仕上げていく仕事です。中には、シミュレーターの運転席に座る際に目隠しをして、外からの情報を遮断するドライバーもいます。余計な情報を排除することで、実車に乗ったときの感覚により近づけようとしているんです。
マツダでは、実車評価で磨いてきた「人馬一体」の感覚や得られた知見を、仮想環境での評価にも取り入れている。自社で定置式のシミュレーターを保有するが、現在は群馬県太田市にある協業パートナー「S&VL技術研究所」の最新鋭のドライビングシミュレーターも活用。エキスパートドライバーと設計者が共同でクルマ開発を行う場所は、これまでのような実際の試験場だけではなく、バーチャルな空間にも広がっている。
テストでは、エキスパートドライバーからのフィードバックを受け取り、その場で調整点を洗い出していく。仮想環境の中でも、現場は常に真剣勝負だ。
ドライビングシミュレーターはどのように活用されているのでしょうか?
鈴木:
以前は、クルマ設計の後半にあたる試作車ができた段階でエキスパートドライバーに実車に乗ってもらい、性能評価をしていました。ただ、その段階でクルマの骨格に関わる大きな課題が見つかってしまうと、基本設計からやり直す必要があり、開発工程に大きな手戻りが発生することがあったんです。
そこで、設計のもっと早い段階からシミュレーターを活用し、仮想空間で評価できるようにすることで、大きな後戻りを防ぐことができるようになりました。マツダが進める「モデルベース開発(MBD)」にとって、ドライビングシミュレーターは重要なツールのひとつなんです。
ただ、私たちの目的は効率化だけではありません。本当に目指しているのは、狙いの乗り味をじっくりとつくり込むための「時間」を生み出すことです。
それでも、実車のテストには敵わないと思ってしまうのですが、
鈴木:
確かにそう感じられるかもしれません。ただ、シミュレーターには“実車ではできない強み”があります。それは、実車ではなかなか遮断できない“ノイズ”を取り除いて評価できるという点です。
たとえば、クルマの振動を評価する場合、実車だと「ハンドルに伝わってくる振動が路面の凹凸によるものなのか」「クルマの構造そのものに起因するものなのか」切り分けて判断するのが難しいんです。でもシミュレーターなら、氷の上のように完全にフラットな路面を作って走らせることもできるので、振動の原因を特定しやすくなります。こうした仮想空間でのテストは、乗り心地や走りに直接的に影響する“からくり”を解き明かすための、大きな手助けになります。
佐藤:
「人間研究」の視点から見ても、シミュレーターには大きな可能性を感じています。高精度のドライビングシミュレーターを使えば、実験環境を確実に、しかも高い再現性でコントロールできます。その結果、各環境下で乗員がどのような動きや反応を示すのかを、より詳細に計測できるようになります。
そうなれば、現象の原因が特定しやすくなりますし、原因が特定できれば、人の“からくり解明”や感覚のモデル化も大きく前進し、人がクルマの中でどう感じ、どう反応しているのか―その理解がより深まるはずです。
からくりが解明された先には、どのようなメリットがあるのでしょうか?
鈴木:
個人の経験に閉じることなく、「人馬一体」を磨き続ける文化を、次の世代へと手渡していく、ということです。これまでのマツダ車の「人馬一体」と呼ばれる乗り味は、エキスパートドライバーの豊富な経験に裏打ちされた繊細な技術と感性によって磨き上げられてきました。もし、「人間研究」がさらに進み、エキスパートドライバーが行ってきた“感性に基づく評価”や、そのスキルのしくみまで解き明かして定量化・モデル化できれば、それは大きな前進になります。
いわば秘伝の“レシピ”を言語化して次世代へ確実に継承できます。
結果として、より高い品質で、よりスピード感をもって、人馬一体となった「マツダらしいクルマ」を提供し続けられるようになると考えています。
佐藤:
私は、この取り組みが、「人起点のクルマづくり」につながっていくと感じています。たとえば、定量化された“人間モデル”を企画段階から関係者間で共有できれば、早い段階で目指す姿を明確にできます。つまり、従来の「どんな性能を持ったクルマにするか」という発想ではなく、「人の感覚がどうあるべきか」という人起点のクルマづくりに貢献できるのです。
クルマが“最高の相棒”になる未来
最後にお二人が思い描く理想のクルマ像と、今後の展望をお聞かせください。
鈴木:
クルマは単なる移動手段ととらえる人も多いと思いますが、マツダは運転や移動に紐づく体験価値を大切にしています。
お客様一人ひとりの感覚や気分、体調の違いを丁寧に受け止め、クルマがその人にとって本当に心地よい“相棒”となるような体験を追求していきたい。ドライビングシミュレーターは、こうした「人間研究」の成果をクルマづくりにつなげるために、大切な架け橋になると信じています。
佐藤:
人が心から喜ぶ価値は、まだ言葉になっていないだけで、この世界にたくさん眠っていると思います。その“まだ見えない気持ち”に光を当て、クルマが人を深く理解し、ときには本人も気づかない感情にそっと寄り添える――そんな新しい関係をつくれる可能性が、「人間研究」にはあります。
もちろん、「これをクルマに取り入れたら、きっと面白いだろうな」というアイデアが浮かぶこともあります。ただ、それが本当にお客様の暮らしを豊かにし、幸せにつながるものなのか。そして、お客様にとって心から価値を実感できるものなのか。そうした“お客様視点”は、常に持つようにしています。
マツダの入社試験で「いつか、人間の相棒になってくれるようなクルマを作りたい」と話したときは、具体像までは描けていませんでした。でも今振り返ると、それこそが「人間研究」が目指す未来のクルマ像なのかもしれません。
そしてもうひとつ、今の自分にとって大きな違いは、一緒にクルマに乗る家族が増えたこと。だからこそ、人とクルマがお互いに歩み寄り、ドライバーにとっても同乗する人にとっても「一緒に出かけたい」「もっと思い出をつくりたい」と思える。そんな“最高の相棒”と言えるクルマをつくりたいと心から思っています。
編集後記
研究と技術、そして人。
そのすべてをつなぎながら、クルマは、人の人生に寄り添う“最高の相棒”という存在へと近づいていくのでしょう。
今日も現場では、研究者、設計者、エキスパートドライバーが、同じゴールを見据え、手を動かし続けています。