マツダの保健師がプログラミング?「AI道場」と新組織「MAX」の真相に迫る

AIchallenge-healthnurse
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AIの台頭により、情報処理や思考のスピードが格段と速くなりました。身近なところで言えばChatGPT。親密な友人あるいは有能な秘書として私たちの暮らしや業務をサポートしてくれています。ですが、もっと踏み込んで業務改善や生産性倍増のためにAIを活用したいと模索している方も多いのではないでしょうか?

 

マツダにも今まさに、「AIの力で社員の健康指標を探りたい!」と奮闘している保健師がいます。保健師とAI?意外な組み合わせに編集部員も驚きましたが、もうすでにPythonコーディングや多変量解析など、プログラミングや統計学を習得して実務に活用しているとのこと。データ分析に精通していたのかと思えば、1年前までまったくの素人だったと聞いてさらに驚きです。

 

なぜ、そんなことができるのか?その背景にはマツダ独自体制の「AI道場」と新組織「MAX」の存在がありました。



噂の保健師に会うべく編集部が訪ねたのは、健康推進センターです。ここでは産業医をはじめ、保健師、看護師、衛生管理者が在籍し、日々の健康相談や健診後の保健指導、健康づくり施策をとおして、マツダで働く社員24,000人の心と身体の健康を支えています。

 

「今日はよろしくお願いします!」と元気な笑顔で迎えてくれたベテラン保健師の荒俣靜香(あらまた・しずか)を筆頭に、同じく保健師の長戸紘子(ながと・ひろこ)と常重祐実(つねしげ・ゆみ)がこの1年間を振り返りながら、本気で挑んだAI奮闘を語ってくれました。

ベテラン保健師、荒俣。長年、現業・開発領域を中心に担当し、社員の健康相談や保健指導に従事。「マツダ社員は在職中も退職後もいきいきと活躍していると言われたい」をモットーに、健康づくり支援を行っている



てっきり、IT本部の方がやってくれるものだと思っていたら

荒俣:

会社の健康推進部門ということで、私たちの手元には社員24,000人の健診データや問診、ストレスチェックの結果があります。中には、年に2回健診を受ける方もいらっしゃいますので、データ数としては単年で3万件を超えるんです。十分なデータが蓄積されてはいるものの、分析手段がエクセルしかなかったので「ここ数年、肥満気味の人が増えている」というような大きな傾向を知ることはできてもそれ以上の分析まで至らず、「課題は本当にこれで合っている?」「正しい施策だろうか?」と、常に自問自答をしていました。

 

そんなとき、全社DXの統括者からお声掛けいただいたんです。「健康推進センターには、データがたくさんあるでしょう?それらを分析して社員の健康・ウェルビーイングへ繋げるために、AIを活用してみない?」って。驚きました。え、なんで私たちの悩みを知っているんですか?と。

 

それから、AIを活用すればこんな風に健康リスクが予測できると聞いて「ぜひ、お願いします!」とお返事しました。てっきり、IT本部の方がやってくれるものだと思っていましたから、これはラッキー!って乗っかったんです。でも、ふたを開けてみたら「それは自分たちでやるんだよ」と言われまして。「あ、自分たちでやるんだ」と思いましたね。怒涛の日々のはじまりです。

 

私たちが「AI道場」に入門したのは、2024年の6月です。「AI道場」とは、マツダ社内の独自制度で、IT本部所属の社員がプログラミングのエキスパートとして師範となり、毎週2時間、勉強会と実際のデータ分析の困りごと相談を行います。まずはPythonが実行できるように作業環境を整えることからはじまり、コードの書き方/データベースの作り方/分散・正規分布など統計学の演習について、師範から説明を受けました。でも、聞いてもキョトンとする内容ばかりで。

長戸:

授業は、いきなり「主成分分析」からでしたよね。ハテナが浮かんでいる私たちを見て、同じマツダ社員である師範がオリジナルの教科書を作ってくださいました。


「AI道場」師範が、奮闘する保健師チームのために作成したオリジナルの教科書。メモや付箋から取り組みへの本気度が伝わってくる

荒俣:

私たちが分析したい社員の健康データは、センシティブな個人情報になるんです。だから社内の師範とはいえ、そのままの状態で見せることはできません。データは個人が特定させないよう匿名化させる必要があります。手順は教えていただくのですが、データを見せるわけにもいかず、結局のところ自分たちでやるしかない。えらいこっちゃと思いました(笑)

 

Pythonなんて聞いたこともなかったのに話はどんどん大きくなって、でも、今さらできないなんて絶対に言えない。Aidemy(IT教育プログラム)*やYouTube、参考書を見て、必死で勉強しました。

 

*Aidemy:株式会社アイデミーが提供する法人向けAI・デジタル技術のオンライン学習プラットフォーム。マツダは、全間接部門の社員を対象にデジタル人材の育成を狙って2022年に導入した。



ベテランと若手のチームだからこそ、成し遂げられた

荒俣:

全社員の「データベース」を整えるのに、各々が独立して存在していたデータを個人に一つずつ紐づけたんですが、10年分を一元化しようとしても年代によって健診項目が異なっていたり、検査方法や基準値が変わっていたりでとにかくバラバラ。四苦八苦しながら何とか揃えて「できた!」と思ったら、500件しかない。あれ?残りの23,500件はどこに…。コードを見直してはここが違うんじゃない?という試行錯誤を延々と繰り返して、3ヶ月かけてようやく完成させました。データベースさえ整えば、分析はね。

常重:

秒ですね! 師範にも言われていたのが、データベースがとにかく命だと。だから、それさえできれば、分析結果は一瞬で出てくれます。

荒俣:

AI道場のお話をいただいたときに、入門条件が「若手を連れてくること」だったんです。今の若い世代はITスキルに長けている人が多いので彼らのポテンシャルを活かしてほしい。でも、若手だけでは経験不足で目指すべき方向性を見誤ることもあります。なので、ベテランと若手を交えたチームで参加してほしいということで、当時、転職してまだ半年だった常重さんと、中堅の長戸さん、ベテラン枠として私の3人でチームを組みました。みんなPython初心者でしたが、常重さんはみるみるコードが書けるようになったよね。

(1枚目) 長戸さん
「気づけば中堅」と語る保健師の長戸。険しい道を予想しつつも、マツダの健康概況を広く捉えたい、自分の成長につなげたいとの思いで、AI道場に飛び込んだ

(2枚目) 常重さん
2023年10月、行政保健師を経てマツダへ転職した常重。「まさか、マツダでPythonをするなんてびっくり」と驚きを隠せない様子だが、得意なことを活かせる環境にありがたみを噛み締めていると語る

常重:

先輩たちに「こんなデータ出ました!」って分析結果を見てもらうと、「やっぱりそうだよね!」って喜んでくれるんです。転職して間もない私に、所属チームだけでなく他のチームからも「こういうデータって、出せないかな?」と頼ってもらえることが増え、みんなの役に立てることが嬉しかったですね。だから、Pythonの学習も頑張れたと思います。

長戸:

これまでは各々で分析をしていましたが、全員で共有できるデータベースができたことで、作業時間の短縮にもなっています。私たちが経験的に感じていたことがデータでも実証されると、「もっとこうしたい」というみんなの意欲にもつながって、その連鎖が私たちのモチベーションになっていました。やること満載で大変だったけど、楽しかったよね。

常重:

めちゃくちゃ楽しかったです。



退職後もいきいきと、生涯にわたり健康でいてほしい

荒俣:

マツダのパーパスである「前向きに今日を生きる人の輪を広げる」ために、私たち保健師としては、「ワークエンゲージメントやプレゼンティーイズム(労働生産性)には何が影響するのか?その要素をAI活用であぶり出したい」という目標がありました。健康の大切さって在職中には気づきにくいものですが、年齢とともに病気のリスクは高まっていきます。

 

会社にとって人は資本。だからこそ、そのベースとなる健康づくりのために「何をすべきか」を示すときに、世の中の風潮だからという理由ではなく、マツダ社員のリアルなデータに基づいて要因を絞り込めたのは、大きな進歩だと思います。

(1枚目) これまでに実行したプログラミングのコードや分析内容を説明する荒俣。これらは全て、保健師チーム自らの手で作成したもの

(2枚目)「私たちの成果を見てください!」と、渾身の分析結果を見せてくれた

実は4月に、マツダ役員に対して「社員の健康概況」と「健康経営のための分析」について、報告をしたんです。ワークエンゲージメントを上げる要因は「仕事の内容が自分に合っていると感じられる」「上司・同僚の支援が高い」ことが分かってきました。これが「マツダ社員のリアルなデータ」に基づく分析だと伝えると、役員の皆さんが身を乗り出して聞いてくださりました。この結果を具体的な施策につなげて健康づくりをアップデートするために、今後は、部門ごとの分析結果を出して、それぞれの部門長へ共有するためのレポートまでを自動で作成したいと考えています。

 

クルマづくり以外にもさまざまな職種があり、いろんな人が多様な働き方をしているマツダだからこそ、産業保健師として社員の健康づくりを支援できることは、私自身もやりがいを感じるところです。そして、マツダを退職した後もみなさんがいきいきと地域社会で活躍でき、生涯にわたって健康でいられるようにサポートするのが、私たち健康推進センターの使命だと思っています。



AI道場とは?新組織「MAXプロジェクト室」の狙いを聞きました

プログラミング初心者ながら、驚異的な成長を遂げた保健師3人を支えた「AI道場」。師範たちはどんな未来を見据えているのでしょうか?その真意を掴むべく、「AI道場」の仕掛け人であり、2025年9月に発足した新組織「MAXプロジェクト室」の立ち上げメンバーでもある吉岡正博(よしおか・まさひろ)に、AI時代の指針を伺いました。


入社時から一貫して、IT部門におけるインフラや新技術を担当する吉岡。「マツダの全社員がAIを使いこなし、“人”しかできない仕事をしている状態」になることを目指して日々奮闘している。AIが進化する時代において「“人”しかできないことは何か?」「“人”の存在価値とは何か?」を考える吉岡と共に、新組織MAXが動き出した


吉岡:

2030経営方針として「人とITの共創による価値創造」を掲げ、AIとデータを連携させることで業務プロセスの効率化をめざしています。その実現へ向け、2022年から社内教育の一環としてAidemy(IT教育プログラム)を採用しているのですが、実際のところ、どんなに勉強しても実践する場がなければ身にならないですよね。そこで立ち上げたのが「AI道場」でした。

 

もともと私のチームにはAIスキルを持ったメンバーが所属していて、生産部門や工場と一緒にAI適用のプロジェクトを行っていたこともあり、このチームが師範となって進めてきました。師範はキャリア採用の方が中心です。広島だけでなく東京や関西にもリモート勤務の師範が46名在籍しています。「AI道場」には我々が中心で進めて行くプロジェクトと、荒俣さん率いる保健師チームのようにご自身の手を動かしてやってもらうものがあり、課題や要件によってサポートの形を決めています。

 

荒俣さんたちが入門されたときは「AI道場」が立ち上がったばかりということもあり、ものづくり部門が中心でしたが、なぜかそこに保健師さんもいらっしゃるという異例のチームでしたね。今やすばらしい進化を遂げられているので私たちも驚いています。


「AI道場」に挑んだ1年間を改めて振り返る荒俣。保健師とIT技術者が並んで取材を受け、同じテーマで語り合うのもこの取り組みならでは


そして今年(2025年9月)には、MAX(Mazda AI Transformation)というプロジェクト室を社内で立ち上げ、領域横断型でAIを活用した業務改革を本格的に推進しようとしています。MAXでは事務系を中心とした間接部門でも生成AIを積極的に取り入れ、全社的なデータの整備・集約を目指しています。同時に、各部門の固有課題に対しても生成AIが実装できるように活用の領域を隅々まで広げ、生産性・効率・スピードを劇的に高めようとしています。



なぜ、すべて内製化しているのか?

吉岡:

保健師チームが取り組まれていたように、AIを習得して実績を積むまでにはすごく時間がかかります。「こういうアプローチは上手くいかなかった」「このケースにはこれが最適だ」という試行錯誤の繰り返しです。でも、失敗を含めた過程こそ財産であり、それらが社内に蓄積されることに価値があります。

 

どの取り組みも一朝一夕でできるものではありません。とても地道で根気を要しますが、AI人材が社内でしっかり育つことで、従来の手作業やエクセル業務を自動化させ、全社の様々な領域で工数を削減し、全社員が「人」の能力を最大化していくことが、マツダの持続的な成長の実現につながると信じています。

データを宝として、いかにAIを適用できるか

吉岡:

「AI道場」をとおして、AI活用が少しずつ社内に浸透してきています。そのなかで、なるほど!と思った事例や、そんな課題があったなんて私も知らなかった、というような、現場ならでの発想が多くあります。

社内にはたくさんの情報があります。それは外部のAIが知らないことです。マツダの情報はマツダにしかないからこそ、どのようにAIを適用させ、価値創造していくのかが真の命題になると思います。


データとAIをどう活用するかは私たち次第ですが、「やりたい!」気持ちを支えてくれる部門や実行できる環境があってこそ。

これから本格的に、新組織「MAX」が始動します。

今回の保健師による健康データを活用した従業員のウェルビーイング実現といった健康経営以外にも、お客さまの多様なニーズに柔軟かつ効率的に対応できるものづくりプロセスの革新や社会課題の解決につながる様々なテーマにAIが適用されつつあります。師範たちに支えられながらも、自らの手でAIを駆使して業務変革を進めていこうとするマツダ社員たち、ここから、未来を支える新たな価値が共創されていきます。




編集後記

 

社内データの可能性、それを使う社員の想像力。私たち現代人にとってAIは、万人に平等・共通に生まれた新しい価値創造ツールです。AI導入のきっかけは業務プロセス効率化であるかもしれませんが、それらを活用してマツダらしい価値を創造する源泉は、やはり「人の力」にあるようです。「AI道場」が生んでいるのはAI人材だけではありません。まったく違う部門の人々が知り合い、学び合い、互いに連携できる場になっていることを今回の取材で実感しました。


関連リンク

マツダ統合報告書2025

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