かつて日本車販売のシェアが9割近かったタイ。しかし、EVの浸透や中国メーカーの台頭で、多くの日本メーカーが苦境を強いられています。
多くの企業が撤退や縮小を検討する中、マツダは、2025年2月タイの工場に追加で50億バーツを投じ、新型の小型SUV生産のハブとする計画を掲げました。
マツダの中でも重要な位置付けとなる、今後の小型車の生産をなぜ、タイに“託す”のか。
それは、70年以上にわたってビジネスを続けてきたパートナーとしての関係があるから、という理由だけではありません。
かつて日本車販売のシェアが9割近かったタイ。しかし、EVの浸透や中国メーカーの台頭で、多くの日本メーカーが苦境を強いられています。
多くの企業が撤退や縮小を検討する中、マツダは、2025年2月タイの工場に追加で50億バーツを投じ、新型の小型SUV生産のハブとする計画を掲げました。
マツダの中でも重要な位置付けとなる、今後の小型車の生産をなぜ、タイに“託す”のか。
それは、70年以上にわたってビジネスを続けてきたパートナーとしての関係があるから、という理由だけではありません。
技術とともに、世代を超え「ひと中心」やおもてなしの精神を伝えようと常に試み続けてきた日本人従業員たちと、それを感じ取り、行動に移してきたタイの従業員たち。
タイのマツダブランド構築を担ってきた方々を取材しました。
実は、日本車大国と言われるほど日本車が普及しているタイ。マツダ車も、根強いシェアを獲得しています。
マツダ車オーナーのソムさんは、クルマの品質もさることながら、ブランドへの信頼があるのだ、と語ります。
ソムさん(本名:タウィーポーン・ジョンジタサツァマンさん)タイで栄養士をしている。家族全員がマツダユーザー。タイでは、長い本名と共にニックネームを持つのが一般的で、仕事など公的な場でもニックネームを用いる。ソムさんというのはニックネーム。
ソムさん:
物心ついた時から、いつも家族のクルマはマツダでした。家族がもう「マツダ一筋」で、ファミリア、サンダー(ピックアップトラック)、プロテジェ、MAZDA3と乗り継いでおり、兄もCX-5に乗っているんです。
そして、私が初めて所有したクルマもMAZDA2。乗っていたマツダ車は、事故もなく信頼できると感じていたので、他のメーカーを考えることはありませんでした。マツダは私にとって、「長く付き合える相棒」というイメージがありますね。
燃費や運転のしやすさもそうですが、販売店の方のサービスがいつも良いことも、信頼する理由です。緊急のホットラインや、アフターケアが安心できて、それがブランドの信頼にもつながっています。
マツダ車をタイで利用する多くの人が、クルマの性能だけではなく、ブランドとしても信頼できるといいます。
なぜここまで、マツダはタイのお客さまの信頼を得ることができたのでしょうか。
ユーザーに確かに伝わるブランド価値。それを築いたのは、現地の人々でした。
マツダディーラーのノイ。実は、彼女の父もまた50年以上前からマツダのディーラーをしていました。
幼い頃から、お客さまに向き合う父の姿を見てきた娘のノイは、父の姿勢から、「ひと中心」のマツダの精神を学んだといいます。
ノイ(本名:タサニーヤ・パタナジトウィライ)。父の代から続く、マツダディーラー「ラチャ・オートセールス」で働く。
ノイ:
マツダには「ひと中心」という理念があります。私の父の姿がまさにそれでした。父は、お客さまに対してどんなサービスができるかについて、いつも厳格でした。
マツダのクルマはどれも素晴らしいですが、そのブランドを伝えるのは私たちです。「人馬一体」の楽しさ、「走る歓び」の魅力、そういった価値への理解を深めながら、私も父のようにお客さまに向き合っています。
実は、父と母の出会いのきっかけもマツダなんです。だから、私にとってマツダは家族同然。だからこそ、マツダの哲学と魅力をこれからも伝えていきたいです。
お客さまと向き合う販売店にまで、クルマの価値だけでなく、その裏にある理念や哲学までもが浸透しているタイでのマツダブランド。
そこには、精神を伝えようという努力を決して諦めなかった、従業員の長年の取り組みがありました。
技術だけでなく価値観を伝えよう。その取り組みを続けてきた一人である、マツダ会長の菖蒲田 清孝(しょうぶだ・きよたか) に話を聞きました。
マツダ会長 菖蒲田 清孝
1995年に創業し、30年間フォードと合弁工場として運営してきたオートアライアンス( タイランド)(以下AAT)の社長を2年間(2008年~2010年)務める。AATでは、初めてとなる乗用車ラインの立ち上げに携わる。
菖蒲田:
2008年から2年間、AAT(タイにある、マツダ・フォードの合弁工場)で社長を務めました。フォードとの合弁工場ですから、マツダとフォード、二つの会社のクルマを、一つの工場で作らなくてはなりません。
この、AATにとって大きな変化のときに、リーマンショックや労働争議も重なり、かなり厳しい時期もありました。しかし、タイの従業員たちは一丸になって乗り越えてくれた。
この経験を通して、従業員のみんなと仕事に対する価値観を共有したいと強く思うようになりました。
そこからは、いかにわかりやすい言葉で、タイの人々に価値観を伝えられるかを考えました。そこで伝えるようにしていたことは、「われわれにとっては100台のうちの1台だが、お客さまにとってはかけがえのない1台」ということです。
トップだけではなく、すべての従業員、一人ひとりに浸透するよう、繰り返し、繰り返し、お客さまに視点を向ける姿勢を伝え続けました。その結果、ひと中心のものづくり精神と誇りは根付いていったのではないかなと思っています。
タイでの製造現場の様子。日本と心を同じくした、お客さま第一の品質を守り続けている。
それを示すようなエピソードがあります。元々オーストラリア向けのマツダ車は、日本で生産していたのですが、その一部を、タイで生産したものに切り替えることになったのです。しかし、オーストラリアの販売会社などから「品質はタイで大丈夫なのか?」という声が上がってきた。
この声に対し、従業員たちが「なにくそ」と踏ん張ってくれたんです。これが嬉しかった。タイの従業員たちが「ここはマツダのブランドを持った工場だ」という誇りを持ってくれているのだと強く感じました。
その時、オーストラリアの卸売や販売会社の方々にタイの工場を見ていただきました。品質やオペレーションについて、何点か指摘されましたが、従業員たちがそれ以上の向上を行った結果、彼らもタイの品質を認めてくれました。今、現地の工場は日本人の出向はほとんどなく、ほぼ現地の人々だけで運営しています。
現地の彼らが心強く感じられ、安心してブランドを任せられる。タイの人たちがマツダにとって大切な財産なんです。
タイの従業員がマツダと同じ方向を向いて、同じ志で取り組みをする中で、マツダもまた、タイに存在する企業の一員として認められたようにも感じました。
従業員が、ブランドへの誇りを持ってくれている。技術以上に大切なものを共有したタイと共に、今、新たなチャレンジが始まっています。
マツダは2025年2月14日、投資計画を発表。新たに、タイを新型の小型SUVの生産・輸出ハブとすることを決めました。
各日本企業がタイからの撤退やビジネス縮小に動く企業がある中で、大きな決断です。
その理由は、マツダの長年の「人への投資」に基づく関わりにあります。購買部ジェネラルマネージャーのトゥックは、タイでお客さまを見つめながら仕事ができる人が育ったからだと語ります。
AATに25年以上勤務する購買部ジェネラルマネージャーのトゥック(本名:ヨサクライ・ニヨムサブ)
トゥック:
マツダは機械だけではなく、人へも投資しました。それが、従業員へのマインドセットへとつながったと思っています。
マツダ・スピリットとは、お客さまを思うことです。「お客さまが家族だったら」「自分の大切な人が乗るのなら」そう考えれば、自ずと安全性や快適性につながっていくのだと思います。
また、「ひと中心」を体現するような、忘れ難いエピソードがあります。私がマネージャーとして入社した初日、当時の社長である佐伯さん*が、私を連れて鉛筆を買いに行ったんです。私がなぜかと尋ねると、鉛筆を慎重に選びながら「従業員が手を痛めずに快適に働くためだ」と教えてくださいました。
社長という経営や全体を見通す立場でありながら、鉛筆1本という細かい部分まで従業員を思いやる姿勢にマツダの「ひと中心」の強靭な意識を感じ、驚きました。
同時に、これからはマネージャーである私が、お客さま、サプライヤー、従業員に至るまで「ひと中心」で考え、仕事をするのだと実感しました。私が今日まで働いてこれたのは、この経験あってこそだと感じています。
また、佐伯さんが私に、経験を通して大切なことを教えてくれたように、マツダの「ひとづくり」を大切にする取り組みが、従業員全員の意識や目標となり、結果としてブランドや品質につながっていったと感じています。
*佐伯 俊秀(さえき・としひで)AATの初代社長(1995年-2003年)
「ひとづくり」によって、意識、そして品質へとつながっていったと語るトゥック。これらは、さらなる未来へと広がろうとしています。
マツダセールス(タイランド)の社長兼CEO、ティー・パームポングパーンスは未来への展望をこう語ります。
マツダセールスタイランドの社長兼CEO、ティー(本名:ティー・パームポングパーンス)2007年にマツダに入社してから、現地で重要な役割を担ってきた。
ティー:
戦後、壊滅的な状況から広島の人々は町を再建し、ともに助け合ってきました。困難な状況でも簡単には諦めない「闘う人たち」です。この粘り強さ、そしてパートナーへの敬意が、私たちのDNAだと思っています。
この70年の間、私たちは技術移転に注力し、サービス・営業・製造など事業のあらゆる領域で人材のスキル向上を進めてきました。しかし、どれだけ優れた製品や技術があっても、お客さまへの姿勢あってこそです。だからこそ、「おもてなし」やサービスへの情熱がマツダの中核なのです。
最近も約50億バーツを投資し、新型小型SUVの生産をタイで行う計画を発表しました。これは、マツダが長期的にこの国と共にあるという姿勢の証です。
今後もさらに顧客体験の質を高めるために、製造現場、ディーラーネットワーク、そしてタイのすべての関係者と、情熱と献身のこころをもって協力していきたいと考えています。
タイにはマツダ車の車両組み立て工場だけでなく、トランスミッション・エンジンの生産工場があり、これからも活況が続くアセアン地域になくてはならないマツダの重要な拠点です。
しかし、それだけではありません。心を通わせ、精神を共にし、遠く離れても一つの理念をルーツにブランドを共に支えるタイの従業員たち。
その精神が育まれたからこそ、マツダは心強い相棒として、タイに未来の一翼を託すことを決めたのです。
国は違えど、想いは同じ。世界と共に歩むマツダの躍進に、ぜひご期待ください。
取材の中で驚いたことは、マツダに関わる一人ひとりにマツダの理念が共有されているということです。これは、一朝一夕で育まれるものではありません。
マツダにおいての「ひと中心」の考え方。日本以上に「家族の絆」が重視されるタイでは「家族が乗ることを考えて」と表されています。それは、70年にわたり現地の人々と密なコミュニケーションを通して生まれた表現なのでしょう。
取材の中で、タイの人々もまた、私たちの家族のように感じられるようになりました。彼らと共に新しい一歩に踏み出せることを、とても嬉しく思っています。
タイ市場があるアセアン地域は、人口約7億人、年間300万台超の自動車市場を有する一大経済圏です。その中でもタイは、人口構成が若く、今後も成長が期待される市場です。マツダはこれまで、タイのSUV、ピックアップ、エコカー販売や生産拠点に大きな投資を行ってきました。
タイには、車両組み立て工場のオートアライアンス (タイランド)(AAT)があり、約5000人の従業員がこれまで、マツダのトラックや乗用車を生産、日本、ASEAN各国へ輸出してきました。また、トランスミッション・エンジン工場のマツダ パワートレイン マニュファクチャリング タイランド(MPMT)は、グローバルでのトランスミッション供給拠点、アジア地域でのエンジン供給拠点となっています。タイ国内からの現地調達率も高く、マツダはタイで確固たる完成車ビジネスを構築しています。
AutoAlliance Thailand(AAT)
Mazda Powertrain Manufacturing Thailand (MPMT)