1978年から7年半にわたり生産を続けた初代〈RX-7〉は、日本はもとよりアメリカでも確固たる地位を築いていた。そこで2代目に求められたのは、初代の築き上げた名声を高めつつ、さらに純粋なスポーツカーとして進化を遂げることだった。この方針は、実は初代が誕生した1年半ほど後には考えられていたことである。
開発は、「スポーツカーとは何か?」という基本テーマを、ゼロベースに立ち返って考え、まとめていく作業となった。『スポーツカー研究会』を立ち上げ、自動車の歴史を振り返ることなどをしながら、2代目としての計画原案を固めていった。
当時の開発メンバーの一人は、こう語っている。
「参考になるものならば、どんなクルマでも肌で感じられるところまで乗りました」
背景にあったのは、当面のライバルばかりを見ていてはいけないということだった。自動車発祥から120年の歴史において、高性能車の誕生やモータースポーツの発生は、より速くという欲求と、他の誰よりも速くという競争心によった。そこからスポーツカーという車種が生まれてくる。
初代〈RX-7〉のSA22C型にこだわることなく、2代目では未来へ通じる新しい価値観を創造すること。クルマ社会に逆風の吹くなか誕生した初代が存在することではじめて取り組むことのできる、スポーツカーという価値の定着を目指した新たなる開発であった。