マツダの〈RX-7〉は、1978年(昭和53年)3月に初代(SA22C)が誕生した。その当時、国内では、サバンナRX-7と呼ばれていた。
〈RX-7〉の生まれた70年代後半というと、73年の第一次オイルショックのあと、ちょうど78年にはイラン革命を発端とする第二次オイルショックが起き、第一次オイルショックのときと同様に原油が値上がりし、日本国内では深夜のテレビ放送の自粛や、日曜・祝日のガソリンスタンド休業などが行われた。また、環境問題では、アメリカのマスキー法を受けて日本でも73年から排ガス規制(昭和48年規制)がはじまり、78年の昭和53年規制は、当時、ガソリンエンジン車に対し世界でもっとも厳しく排ガス浄化を求めるものとなった。
そうした社会情勢や、規制の施行など、取り巻く環境によって、クルマが大馬力を求めるには逆風の時代となったとき、クルマへの夢を支える一条の光として登場したのが、サバンナRX-7だった。
世界で唯一マツダが量産を実行したロータリーエンジンの軽量小型の特徴を活かした初代コスモスポーツの意思を受け継ぐかたちで、サバンナRX-7は、低重心により運動性を高めたスポーツカーとして十分に考え抜かれた設計がなされていた。
ガソリンを自由に使うことがはばかられた時代に、もはや国産スポーツカーの存在は不可能と思われていただけに、〈RX-7〉の衝撃的な登場は、世界の人々をも驚かせるに十分だった。
〈RX-7〉の前身であるサバンナGT(輸出名:RX-3)は、双子車のグランドファミリアと共通の車体にロータリーエンジンを組み合わせたものだった。しかし、〈RX-7〉は、まさにスポーツカーならではの精悍なスタイルを持っていた。初期型の空気抵抗係数(Cd値)は0.36と、空気抵抗の少ない優れた数値であり、低いボンネットフードは、軽量小型のロータリーエンジン搭載を象徴する姿を目に印象付けた。さらに、点灯時のみヘッドランプがボンネット先端へ顔を出すリトラクタブル方式は、このクルマが特別であるということをいっそう強調する特長となった。そこには「ロータリー・スペシャルティ」と呼ぶにふさわしい姿があった。