1970年代を境に、ライトウェイトスポーツカーの存在をあやうくさせた安全性能の追求は、〈ロードスター〉の開発においても、ライトウェイトスポーツカーの命である軽量化を保持しながら達成すべき大きな課題であった。時代を経て、ライトウェイトスポーツカー復活に威力を発揮したのは、コンピュータ解析技術の発達であった。また、〈ロードスター〉の開発責任者を務めたエンジニアが、車体設計の専門家であったのも偶然ではなかった。最新のコンピュータ解析を駆使し、今日求められる安全性を十分に充たした、軽量で高剛性の車体を設計することができたのである。
雨の多い日本では、それまで屋根を幌に頼るクルマは極めて少数派であったが、手動で開閉を行う幌をあえて採用したのは、「人馬一体」の走りにこだわった上で、割り切りの判断であった。また、2+2の4人乗りを加えず、2人乗りに割り切ったのも、小型軽量というライトウェイトスポーツカーの真髄にこだわったためだ。このように、「こだわるためにそぎ落とす」という決断をしていったのであった。