なるほど!MAZDA

マツダのことがよく分かる

MAZDAのブランドマーク

このマークは、マツダとマツダグループが「自らをたゆまず改かくし続けることによって、力強く、留まることなく発てんしていく」という決意を象ちょうしています。

MAZDAの考え方

マツダでは、クルマをつくるとき、
絶対に守っているルールがあります。
これは、全てマツダが
クルマづくりで大切にしていることなのです。

  • 1.たいくつなクルマはつくらない!

マツダは、自分たちが走らせて
たいくつだと思うクルマはつくらないと決めています。
走るよろこびが無ければ、
クルマをつくる意味がありません。
ですから、走るよろこびと、
かん境性能、安全性能の全てを高めることに
いどみ続けているのです。

夢を実現できるクルマを

わたしは、クルマのき画を考える仕事をしています。楽しくワクワクするクルマって、今までできなかったことができるちょっとした夢を実現できるクルマだと思います。世の中の人たちがどんな夢を持っているのか、それが新しいクルマのヒントになると思います。

世界をあっと言わせたい

わたしは、はい気ガスをきれいにする技術を研究しています。世界をあっと言わせるような仕組みを開発して、今までにないクルマをつくりたいですね。

テーマパークのような工場に

わたしは、工場で新しい製品を量産するための準備をする仕事をしています。わたしの夢はみんながドキドキ、ワクワクして楽しめるテーマパークのような工場にすることです。それがきっとワクワクするクルマづくりにつながっていくと信じています。

  • 2.品質の良いクルマをつくる!

マツダでは、
お客様に喜んでもらうことを第一に考え、
品質の良いクルマづくりに取り組んでいます。
それを支えているのは、
働く人たちの知えや工夫です。
工場では、働く人たちのいろいろなアイデアが
取り入れられ、より良いクルマづくりへと
つながっています。

だれもが満足できるクルマを

わたしは、クルマの開発をたん当しています。わたしの目標は、お年寄りやしょうがいを持つ方をふくめて、だれもが満足できるクルマをつくることです。そのために世界中を回ってお客様の声を聞いています。

世界中で心から愛されるブランドに

わたしの目標は、マツダブランドを世界中で心から愛されるブランドにすることです。お客様に商品とサービスの両方で最高の満足をおとどけし、マツダをこよなく愛してくださるマツダファンを増やしていきたいですね。

  • 3.多くの会社と協力する

1台のクルマは約4,000種類、
30,000個の部品からつくられています。
その部品を、全てマツダの工場だけで
つくっているわけではありません。
世界中の自動車部品メーカーから、品質の良い、
最適な価格の部品を買ったり、
協力してより良い部品の開発を進めているのです。

  • 4.人と機械の長所を生かす

人があつかうには重すぎたり、
き険だったりする工程で活やくするのがロボットです。
マツダの本社工場では約2,000台のロボットが使われています。
しかし、判断が必要な作業や、
細かい作業は人の手で行っています。
おたがいの長所を生かして、
品質の良いクルマをつくっているのです。

HIROSHIMAとMAZDA

マツダは、今からおよそ100年前、
広島でたん生して以来、広島と共に発てんしてきました。
マツダのクルマづくりと広島は
とても深いつながりがあるのです。


ものづくり

クルマづくりには欠かせない鉄。
実は、広島県は日本で最初に
鉄づくりがさかんになった土地なのです。
広島では、質の良いさ鉄が採れたことから、
さ鉄を使って鉄をつくる「たたら製鉄」とよばれる
技術が発達しました。大昔の人たちにとって、
鉄をつくるということは大変むずかしい作業でした。

人びとは、質の良い鉄を大量に生産できるよう、
様ざまな工夫や改良を重ねていったのです。
やがて、鉄づくりの工夫は、
鉄を使った産業へとつながっていきます。
製鉄所や造船、そして自動車産業など、
広島には鉄に関連する会社がたくさんあります。
鉄を通じて育まれた「ものづくり」の工夫を
大切にする心が広島にはずっと
受けつがれているのです。

チャレンジ
精神

昔、広島は日本一、日本を出て
外国へ移り住む人の多い県でした。
現代のように外国の情報が多くない時代に、
外国に家族で移り住むのは
とても勇気のいることでした。
わたしたちは、広島の人たちの中に、
知らないことに向かってチャレンジしていく
勇気があるのだと思います。

1945年、広島を悲げきがおそいます。
原ばくの投下です。これにより広島の街は、
あと形もなく破かいされました。このような中、
マツダ(当時は東洋工業という会社名)は、
そのわずか4ヶ月後に三輪トラックの生産を
開始したのです。
街の中をトラックが走り、
人々は笑顔を取りもどしていきました。

それから22年後、マツダは世界中の自動車会社が
実現できなかったロータリーエンジンの
実用化に成功し、世界中をあっと言わせました。
だれもが無理だと思うこと、
むずかしいということにあえていどむ。
どんなこんなんや大きなかべに当たっても、
決してあきらめずに夢を追いかける。
それが広島の、そしてマツダの精神です。
新しい技術は、ちょう戦からしか生まれない。
マツダはそんな信念を持って、
クルマをつくり続けています。

MAZDAの社会こうけん

クルマを通じて、
世の中を豊かにするのがマツダの目標ですが、
クルマづくり以外でも、
世の中を良くするお手伝いをしています。

  • 地いきのためにできること

学習支えん

小学生から大学生を対象にマツダミュージアム見学や出張授業、職場体験などを行っています。

スポーツ・文化の支えん

スポーツ教室やロビーコンサート、駅伝大会を行っています。

折りづるプロジェクト

平和を願い、国内外から集めた千羽づるを広島市の平和記念公園にほうのうしています。

フードドライブ

家庭で余っている食材などを必要としている方々や団体に寄ぞうしています。

  • かん境のためにできること

森林保全活動

広島県や山口県で、森林のばっ採や遊歩道の整備などを行っています。

清そう美化活動

地いきの道路や海岸などのごみを減らすための清そうを行っています。

生物多様性保全活動

トンボの飛来調査をはじめとする生物多様性に配りょした緑化事業をすい進しています。

アースアワーへの参加

世界中の人々が同じ日の同じ時間帯に電気を消して地球かん境を考えるライトダウンイベントに参加しています。

  • 安全のためにできること

交通安全教室

開発エンジニアが、地いきのイベントなどで、クルマの安全性や交通ルールを守ることの大切さを伝えています。

カーブミラー清そう

カーブミラーの清そう・点検に取り組んでいます。

旗ふり活動

交通事故を防ぐため、交通安全を呼びかけています。

シートベルトの着用けい発

正しいシートベルトのしかたを伝え、交通事故による死ぼう・重しょう者ゼロを目指します。

マツダはこれからも、地いきといっしょに
豊かな社会をつくっていきたいと考えています。

なるほど!MAZDA

マツダのことがよく分かる

MAZDAのブランドマーク

このマークは、マツダとマツダグループが「自らをたゆまず改かくし続けることによって、力強く、留まることなく発てんしていく」という決意を象ちょうしています。

MAZDAの考え方

マツダでは、クルマをつくるとき、
絶対に守っているルールがあります。
これは、全てマツダが
クルマづくりで大切にしていることなのです。

  • 1.たいくつなクルマはつくらない!

マツダは、自分たちが走らせてたいくつだと思うクルマはつくらないと決めています。走るよろこびが無ければ、クルマをつくる意味がありません。
ですから、走るよろこびと、かん境性能、安全性能の全てを高めることにいどみ続けているのです。

夢を実現できるクルマを

わたしは、クルマのき画を考える仕事をしています。楽しくワクワクするクルマって、今までできなかったことができるちょっとした夢を実現できるクルマだと思います。世の中の人たちがどんな夢を持っているのか、それが新しいクルマのヒントになると思います。

世界をあっと言わせたい

わたしは、はい気ガスをきれいにする技術を研究しています。世界をあっと言わせるような仕組みを開発して、今までにないクルマをつくりたいですね。

テーマパークのような工場に

わたしは、工場で新しい製品を量産するための準備をする仕事をしています。わたしの夢はみんながドキドキ、ワクワクして楽しめるテーマパークのような工場にすることです。それがきっとワクワクするクルマづくりにつながっていくと信じています。

  • 2.品質の良いクルマをつくる!

マツダでは、お客様に喜んでもらうことを第一に考え、品質の良いクルマづくりに取り組んでいます。
それを支えているのは、働く人たちの知えや工夫です。工場では、働く人たちのいろいろなアイデアが取り入れられ、より良いクルマづくりへとつながっています。

だれもが満足できるクルマを

わたしは、クルマの開発をたん当しています。わたしの目標は、お年寄りやしょうがいを持つ方をふくめて、だれもが満足できるクルマをつくることです。そのために世界中を回ってお客様の声を聞いています。

世界中で心から愛されるブランドに

わたしの目標は、マツダブランドを世界中で心から愛されるブランドにすることです。お客様に商品とサービスの両方で最高の満足をおとどけし、マツダをこよなく愛してくださるマツダファンを増やしていきたいですね。

  • 3.多くの会社と協力する

1台のクルマは約4,000種類、30,000個の部品からつくられています。
その部品を、全てマツダの工場だけでつくっているわけではありません。世界中の自動車部品メーカーから、品質の良い、最適な価格の部品を買ったり、協力してより良い部品の開発を進めているのです。

  • 4.人と機械の長所を生かす

人があつかうには重すぎたり、き険だったりする工程で活やくするのがロボットです。マツダの本社工場では約2,000台のロボットが使われています。
しかし、判断が必要な作業や、細かい作業は人の手で行っています。おたがいの長所を生かして、品質の良いクルマをつくっているのです。

HIROSHIMAとMAZDA

マツダは、今からおよそ100年前、
広島でたん生して以来、広島と共に発てんしてきました。
マツダのクルマづくりと広島は
とても深いつながりがあるのです。


ものづくり

クルマづくりには欠かせない鉄。
実は、広島県は日本で最初に鉄づくりがさかんになった土地なのです。
広島では、質の良いさ鉄が採れたことから、さ鉄を使って鉄をつくる「たたら製鉄」とよばれる技術が発達しました。大昔の人たちにとって、鉄をつくるということは大変むずかしい作業でした。

人びとは、質の良い鉄を大量に生産できるよう、様ざまな工夫や改良を重ねていったのです。やがて、鉄づくりの工夫は、鉄を使った産業へとつながっていきます。
製鉄所や造船、そして自動車産業など、広島には鉄に関連する会社がたくさんあります。
鉄を通じて育まれた「ものづくり」の工夫を大切にする心が広島にはずっと受けつがれているのです。

チャレンジ
精神

昔、広島は日本一、日本を出て外国へ移り住む人の多い県でした。現代のように外国の情報が多くない時代に、外国に家族で移り住むのはとても勇気のいることでした。
わたしたちは、広島の人たちの中に、知らないことに向かってチャレンジしていく勇気があるのだと思います。

1945年、広島を悲げきがおそいます。原ばくの投下です。これにより広島の街は、あと形もなく破かいされました。
このような中、マツダ(当時は東洋工業という会社名)は、そのわずか4ヶ月後に三輪トラックの生産を開始したのです。
街の中をトラックが走り、人々は笑顔を取りもどしていきました。

それから22年後、マツダは世界中の自動車会社が実現できなかったロータリーエンジンの実用化に成功し、世界中をあっと言わせました。
だれもが無理だと思うこと、むずかしいということにあえていどむ。どんなこんなんや大きなかべに当たっても、決してあきらめずに夢を追いかける。それが広島の、そしてマツダの精神です。
新しい技術は、ちょう戦からしか生まれない。マツダはそんな信念を持って、クルマをつくり続けています。

MAZDAの社会こうけん

クルマを通じて、
世の中を豊かにするのがマツダの目標ですが、
クルマづくり以外でも、
世の中を良くするお手伝いをしています。

  • 地いきのためにできること

学習支えん

小学生から大学生を対象にマツダミュージアム見学や出張授業、職場体験などを行っています。

スポーツ・文化の支えん

スポーツ教室やロビーコンサート、駅伝大会を行っています。

折りづるプロジェクト

平和を願い、国内外から集めた千羽づるを広島市の平和記念公園にほうのうしています。

フードドライブ

家庭で余っている食材などを必要としている方々や団体に寄ぞうしています。

  • かん境のためにできること

森林保全活動

広島県や山口県で、森林のばっ採や遊歩道の整備などを行っています。

清そう美化活動

地いきの道路や海岸などのごみを減らすための清そうを行っています。

生物多様性保全活動

トンボの飛来調査をはじめとする生物多様性に配りょした緑化事業をすい進しています。

アースアワーへの参加

世界中の人々が同じ日の同じ時間帯に電気を消して地球かん境を考えるライトダウンイベントに参加しています。

  • 安全のためにできること

交通安全教室

開発エンジニアが、地いきのイベントなどで、クルマの安全性や交通ルールを守ることの大切さを伝えています。

カーブミラー清そう

カーブミラーの清そう・点検に取り組んでいます。

旗ふり活動

交通事故を防ぐため、交通安全を呼びかけています。

シートベルトの着用けい発

正しいシートベルトのしかたを伝え、交通事故による死ぼう・重しょう者ゼロを目指します。

マツダはこれからも、地いきといっしょに
豊かな社会をつくっていきたいと考えています。