ロードスター

ロードスター(1989年~)

第4章:プロトタイプから発売までの道のり

スポーツカーの魅力として欠くことのできないデザインは、アメリカ・カリフォルニア州にあるマツダの開発拠点、Mazda North America(MANA)ではじまった。そして1986年1月に日本の開発部門へ移行することが決まり、夏にはほぼ完成形に近いクレイモデルとともに、舞台を広島へ遷した。

しかし実は、この時期が〈ロードスター〉誕生の行方を左右する分岐点でもあった。すなわち、この時点でもライトウェイトスポーツカーの市場性について、疑問視する声が残っていたからだ。そこで、デザインが絞り込まれたこともあり、実物大となる1/1のプラスチックボディの試作を87年4月にアメリカへ持ち込み、クルマに関心の高い一般ユーザーによるグループインタビューを行った。すると、220人中57人が「発売されたらぜひ買いたい」と回答したのであった。世界最大の自動車市場であるアメリカで行った聞き取り調査は、大きな影響力を持っていた。

こうして難局を乗り越え、5ヶ月後にはデザインが最終的な決定を見た。それから2年後の89年春に、まずアメリカで市販が開始されたあと、同年9月に日本での発売がはじまったのであった。そして、人と車を結びつけるエモーションを持った車が久しく日本にはない中、〈ロードスター〉はデビューと同時に誰も予想しなかった売れ行きを見せた。

〈ロードスター〉の人気は、単にマツダだけの話にとどまらず、他の自動車メーカーからのオープンスポーツカー誕生の呼び水ともなり、70年代を境に一度は消えたライトウェイトスポーツカーを、90年代に復活させたといっていい。ライトウェイトスポーツカーの持つ本質的な魅力は普遍であることを〈ロードスター〉は世界に証明して見せたのであった。それを支えたのは、エンジニアの情熱と、自動車技術の発展であった。

世にも幸せなクルマ

〈ロードスター〉は、自動車エンジニアの純粋な情熱が注ぎ込まれたライトウェイトスポーツカーである。デビュー以来世界中の人々に愛され、生産累計が531,890台(1989年4月~1999年10月末時点)で2000年5月に2人乗りのオープンスポーツカーとしてギネスに登録されることによって、世界でもっとも多くの台数を売ったオープンスポーツカーとしても記憶される一台となった。なおも販売台数は増え続け、2007年1月には生産累計800,000台に達し、ギネス記録を更新している。

そして今日も、3代目へと「人馬一体」の精神は受け継がれている。
「ごく限られたスポーツカーだけが持つスピリットの強さこそが、今日のロードスターを創りあげた」
その精神に裏付けられ、3代目は誕生したのであった。
マツダの〈ロードスター〉は、世にも幸せなクルマである。


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