ファミリア

ファミリア(1963年~)

第5章:4代目~新しい時代への旅立ち

1973年(昭和48年)の第一次オイルショックは、エジプトとシリアが、イスラエルへ先制攻撃を仕掛けるかたちで起きた第4次中東戦争を発端とした。1948~73年まで続いた中東戦争は、イスラエルと周辺アラブ諸国との抗争である。関係地域は、石油の生産・供給拠点でもあり、戦争の勃発によって石油危機が世界を巡った。石油輸出国機構(OPEC)による急激な原油価格の値上げは日本を直撃。インフレが加速し、「狂乱物価」という言葉さえ生まれた。企業の倒産や、一時帰休などが発生した。
76年にはようやく景気も回復の兆しを見せ、貿易収支は黒字に、円高による好景気もはじまる。そして、日本の自家用乗用車の普及台数は1,700万台を超え、2所帯に1台の所有へと普及し、国内の小型車の需要層は、20~30代の若い人々が中心となっていった。

1977年(昭和52年)1月の発売となる4代目「ファミリアAP」は、それまでの4ドアセダンを軸とした形態から一変し、ヨーロッパの小型車の主流となりつつあった2ボックスのハッチバックスタイルが最大の特徴であった。時代の遷り変わりにあわせ、新しい感覚、多用途性、経済性、高品質の4つのテーマに開発したクルマだった。車体は、3ドアと5ドアの2種類があり、5ドアは、国産車のハッチバックとしては初めての4ドア+ハッチバックの形態を持つものだった。

新しい時代への旅立ち

駆動方式は、これまで実績を持つFRを踏襲した。サスペンションはフロントにマクファーソンストラット、リアに5リンクのリジッドを採用した。
エンジンは、排気量1,272cc直列4気筒SOHCの72psを搭載したが、翌78年に、排気量1,415ccで82psのエンジン搭載車をモデル追加した。
さらに、その2ヵ月後にはバンを追加している。

ハッチバックスタイルのファミリアは、ヨーロッパでは「マツダ323」の名称で販売し、人気を博した。
発表した77年の夏には、ドイツ人ジャーナリストと国営テレビのレポーターが、日本からアジア大陸を経てヨーロッパへいたる、13,000kmの長距離テスト走行を行った。

アメリカ市場では、「マツダGLC」の名でファミリアAPを販売した。GLCの意味は、グレート・リトル・カーである。オイルショックによる低燃費志向と、大気汚染防止のための排ガス規制を求めるアメリカ市場で、マツダの主力となったのがマツダGLCだった。アメリカのジャーナリズムは「マツダの真摯な努力が生んだ、正直な価値のクルマ」と、このクルマを評した。

日本国内では、79年(昭和54年)に、角型ヘッドランプを含むフェイスリフトを行い、3ドアの1400ccエンジン搭載車に「XG」というグレードがあった。この「XG」が、小型車旋風を巻き起こすのは、次期5代目、FFファミリアになってからのことである。

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